小説家になりたかったら小説など読むな『小説家という職業』

 僕は森博嗣の小説を読んだことはない。というか初めて触れた著作がこれだ。だけど森氏が異端の作家だということは本書から簡単に想像できる。巷にあふれている小説論や作家論とはまったく別の視点をもち、マイナであり続けようとする著者の姿勢は興味深い。そもそも著者は、小説の執筆はつまらない、作家業は単なるビジネスだ、と公言してはばからない。そんな異端作家、森博嗣が示した小説家のあり方は単純明快、「とにかく、書くこと」であった。

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)

貶されている書評の方が、僕にとっては価値がある

僕は、森博嗣の作品にいついて書かれたブログや掲示板の意見に目を通すけど、褒めてあるものを読んでもなんとも感じない。それは、大方予測されたことで、そう読めるように書いたつもりのものだからである。一方、貶しているものは、比較的目新しいし、「ああ、そうか、こんなふうに受け取っちゃたんだなぁ」という発見もたまにあるから、お金を拾ったときと同じような意外性で、少し嬉しくなる。

 なるほどとは思うけど、果たして自分でも同じことができるだろうか。僕なんて書き終わったブログを読み返して、自分の文章のあまりの稚拙さに自分で打ちひしがれているというのに、他人に貶されてもなお、それを喜ぶことができるだろうか。でも著者は、そういう批判に耐えられない人間は小説家には向いていないと言う。腹を立てること自体が自信のない証拠で、そんなことを笑って聞き流せない思考力や想像力では創作という行為において能力不足だと。

それに、乏した書評の方がその人の人間性が現れる、という考えもあるそうだ。ノンフィクションを書くならともかく、「小説家」である以上人間を書くことは避けては通れない。人間というものについての深い洞察力は、小説家に必要な能力の第一条件なんだろう。

小説にテーマはいらない

小説から教訓を見出そうとしたり、小説の中で新たな知識を得ようとする人もたまにいるが、これは本来の小説の機能ではない。そういったものは、小説以外から得た方が効率が高く、なによりも「正しい」ものが手に入りやすい。(中略) ここに断言しておこう。小説にはテーマなんて必要ない。読んだあと、残るようなものも必要ない。それを盛り込むな、とはいわないが、わざわざ異物を盛り込んでも、小説の純粋性を失わせるだけだ。なにも混ざっていない小説の美しさは、読んでいるときに素晴らしく酔えて、本を閉じたときにすべてたちまち消えるものである。小説には、その自由さがあれば良い。

 「面白かったけど、何も残らなかった」小説を読んだ後そう感じることが時々あるけど、残るものなど小説には必要ないと著者は言う。読んでいるときの感覚が大事なのだと。
本当に?僕は小学生の頃、ジュール・ヴェルヌの小説が大好きだった。科学への好奇心と未知への冒険が、少年だった僕の心を惹きつけた。もちろんその頃は、読んでいるときのワクワクした感じが好きで読んでいた。そういう純粋な読書体験を求めていた。でもあとで振り返ってみて思う。主人公たちが繰り広げた冒険のワクワク感は今となっては残っていない。それは読んでいる時にしか感じられないからだ。でも冒険から「何か」を持ち帰って、今もそれを持っている、ということは感じている。本の世界から戻ってきたときに持ち帰った「何か」が今の僕を形成している。その「何か」は言葉で説明できない。だからこそ、それを表すために小説があるんじゃないのか。読んでいるときは面白い、というだけじゃつまらない。なにか残るものが欲しい。著者になんと言われようとも。

小説家になりたかったら小説など読むな

 著者は秘訣も秘策もない、と断言する。そんなもの信用出来ないとも。ただ本書の中で繰り返し言っていることはある。新しいものを目指せ、マイナであれ、とにかく自分の目でものを見ろ。小説家になりたかったら小説など読むな。小説とは結局他人の視点であって、そんなものばかり読んでいると自分の小説の独創性がなくなる、とのこと。確かにこの本自体も、その考えをそのまま反映しているように一見突飛で奇抜な視点ばかりだ。では小説家になるには、小説を読まずに何をすればいいのか。

「小説家になりたい」ともし願っている人がいるとしたら、その人は、既に小説家になっている、と考えて良い。そう、あなたはもう小説家だ。そして、「なりたい」ならば、もう作品も出来上がっているはずである。小説家になりたいけれど、まだ作品を書いていないという状況は滅多なことではありえない。宇宙へ行きたいが、まだ実現していない、というのならばありえる。小説の執筆は、「宇宙へ行く」よりも、物理的にも、金銭的にも、労力的にも、はるかに容易だ。他人の協力もいらないし、準備も訓練もする必要はない。「何故、書かないの?」と問われたとき、一体どう答えるつもりだろうか?


 本書を読んでも具体的なノウハウは一切語られない。とにかく書け、と当たり前のことしか言っていない。でもそれこそが小説家のあり方なんだろう。アイデアや文体なんかが小説家をつくっているんじゃない。作家と作家でないものを分けるのはただひとつ、書くか、書かないかなのだ。