『ブラック・スワン』


バレリーナは朝目覚める、ぬいぐるみに囲まれた部屋の中で。彼女はまだ子供なのだ。


彼女の名前はニナ。完璧さを求めて厳しい練習を自らに課し、ついにプリマドンナの地位を獲得する。だがプリマドンナとして白鳥の湖を演じるためには清く美しい白鳥だけでなく王子を誘惑する妖艶で官能的な黒鳥の役も演じなくてはならない。そんな彼女に演出家のトーマスは言う。「己を解放しろ」

完璧でいることは彼女にとって足枷でもある。完璧であるためには己を抑えこまなければならないと思っているからだ。そしてそうしている限り、抑えこまれたもう一人の自分、ブラック・スワンになることはできない。

トーマスは彼女では白鳥は演じられても黒鳥は演じられないと考えて、帰って自慰をするように命令する。彼女には自分自身を解放することが必要だからだ。だが彼女は言われた通りベッドで自慰を試みるも、完全に快感に身をまかすということができない。彼女の心には常に、母親の存在がちらつくのだ。


彼女の母親もまたバレリーナだった。だがニナを身篭ったことでその道を進むことを諦めて自らの夢をニナに託すようになった。彼女の脅迫的な観念はそこからきているのだろう。やや過保護なことも相まって、ニナの精神は次第に追いつめられていく。だがそんな母親との関係を変えるのがライバルである新人ダンサー、リリーの存在だった。

優等生的なニナとは正反対に奔放で大胆な性格のリリーがやがてプリマドンナの座を奪ってしまうのではないかとニナは疑心暗鬼になっている。黒鳥そのものであるリリーがやがて白鳥である自分を飲み込んでしまうことを恐れているのだ。しかし自分の分身を否定しているだけでは何も変わらない。
ある夜リリーに誘われて、母親の制止を振り切り夜の街へと繰り出す。そこで酒やドラッグ、クラブでの男遊びを経験し、そして最後にリリーとの合一を果たす。ここで初めて、彼女は押さえ込んでいたもう一人の自分を取り込んだのだ。


白鳥の湖の初演の日がやってきた。トーマスはニナに最後のアドバイスを贈る。「君の道をふさぐ者は君自身だ」「邪魔する者は退けろ」だが彼女はミスをしてしまう。まだ黒鳥になりきれていない。楽屋裏へ戻ると彼女の部屋にはリリーの姿があった。「私が黒鳥を踊ってあげる」不敵な笑みを見せながらそう言うリリーを彼女は鏡へと突き飛ばしこう宣言する「主役は私よ」
ニナともう一人のニナを隔てる鏡は打ち壊された。彼女たちはひとつになったのだ。もう恐れるものは何も無い。黒鳥などどこにもいない。彼女自身が白鳥であり、黒鳥なのだ。そうして最後拍手喝采の中、彼女は栄光の時を迎える。


多くの人は変化することを恐れている。ニナもそうだ。変化すると自分ではなくなってしまうのではないか、今もっているものがなくなってしまうのではないかと恐れている。
だが恐れているものを排除するだけでは恐怖はいつまでも恐怖のままだ。恐怖を乗り越える方法はただひとつ。恐怖に近づき、恐怖に触れ、自分の中に取り込むことだ。恐怖の正体とは分離された自分自身のことだからだ。だから自分ではなくなってしまうのではないかと考える必要はない。自分ではなくなることなど、決してできないのだから。