ブログを始める前に最初にやらなければいけないこと

ブログは継続することが一番難しい

ブログを始めたもののやはり継続することが一番難しいなということを改めて思い知りました。
まあ始める前からわかってたことなんですけどね。それでもやはり、始める前の予想と実際の経験との間には大きな隔たりがあるようです。遠くからみたらまあせいぜいゴールデンレトリバーくらいの大きさだろうなと思ったものが、目の前までいくとシロナガスクジラほどあったという感じでしょうか。

みんなに向けて書くことはできない

で、なんで書けないんだろうなと考えると要因のひとつに、誰に向かって書いているのかわからないということがあるんじゃないかと。自分の中でターゲットが明確じゃないのです。
だから記事を書いていてもあれが足りないこれが足りないといちいち気になってしまって、最後まで書くことができない。
でも全ての人へ向けて書くことはそもそも原理的に不可能です。

例えば本を一冊紹介するにしても、小学生の女の子を相手にするのと大学の教授を相手にするのとでは紹介の仕方が大きく違うし、紹介する本の内容も変えなくてはいけません。小学生に専門書を紹介したところでポカーンとされるのがオチですから。

もし老若男女全ての人へ向けて情報を発信するとしたら、それは一番下のレベルに合わせたものにしなければならないでしょう。だからベストセラーというものは大概、浅く広くを地で行く中身の薄いものになりがちだし、テレビもくだらないコンテンツで溢れかえっているわけです。

何かを話すときは目の前の相手に合わせて言葉や話す内容を変えます。目上の人と話すときは相手に敬意を表した話し方になりますし、友達が相手のときは親しみをこめてカジュアルな話し方になります。子供を相手にわざわざ難しい言葉を使って話す人もいませんよね(いるけど)。

でも目の前に相手がいる場合は分かりやすいですが、Webのように相手の姿が見えない場所ではこちらから相手像を考えて話す必要があります。リアルでは人がいるところに向けて話をしますが、ネットでは話をしているところに人が集まってくるという構造になっているのですから。

ターゲットを絞るというのはマーケティングの初歩かもしれませんが僕にはそれが欠けていたのかなと最近になってようやく気づいたのです。

本ブログのコアターゲット

というわけで今後はきちんとターゲットを想定して運営していこうとおもいます。
具体的には、本やマンガや映画やネットが好きな20代〜30代の文系男子、といったところでしょうか。
今後もブログを継続することとは四苦八苦しながら格闘していくことには変わりないでしょうが、内容どうしようとか文体どうしようとかいう悩みは少しは解消されるのかなあ。

おかいもの『星を継ぐもの (1)』

星を継ぐもの 1 (ビッグコミックススペシャル)

星を継ぐもの 1 (ビッグコミックススペシャル)

SFマンガの巨匠によるこれまたSF小説の巨匠であるジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』の漫画化。
控えめに言ってもすごく面白い。今日買って3回読み返した。原作は読んだので壮大なラストの種明かしも知っているけれど、それでも結末が気になる。こんなワクワクするマンガは久しぶりだなぁ。

おかいもの『「片付けなくてもいい!」技術』他

「片づけなくてもいい!」技術 (宝島社新書)

「片づけなくてもいい!」技術 (宝島社新書)

最近はこの手の本ってあんまり買わないけど、この本は見つけてページをめくってうんうんとうなずいてそのままレジに直行してしまった。いやいやすごいですよこの本。目からウロコの片付け本。あるあるネタの宝庫です。

新装・増補版 「捨てる!」技術 (宝島社新書)

新装・増補版 「捨てる!」技術 (宝島社新書)

『「片付けなくてもいい!」技術』のとなりに置いてあった著者の過去の著作。ついでに一緒に読んでみるか、と本屋の策略にまんまとハマってみる。

おかいもの『「神道」の虚像と実像』他

「神道」の虚像と実像 (講談社現代新書)

「神道」の虚像と実像 (講談社現代新書)

儒教についての本を最近読んだので、次は神道かなと。
神道とは太古の昔から現在にいたるまで連綿と続く、自然発生的な日本固有の民族的宗教である」という一般的な理解に対して実は違うのだと説く。
儒教もそうだけど日本人は宗教をかなり誤解していると思う。

知覚の正体---どこまでが知覚でどこからが創造か (河出ブックス)

知覚の正体---どこまでが知覚でどこからが創造か (河出ブックス)

どっかで見たことあるなと思ったらこちらで紹介されてたのを読んで面白そうだと思ったからだった。【書評】『知覚の正体』:新しい目:Social Reading:オルタナティブ・ブログ

タンパク質について調べたかったので。ブルーバックスを買ったのは久しぶり。でも巻末で紹介されているhttp://www.amazon.co.jp/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E8%B3%AA%E3%81%AE%E7%94%9F%E5%91%BD%E7%A7%91%E5%AD%A6%E2%80%95%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E4%B8%BB%E5%BD%B9-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%B1%A0%E5%86%85-%E4%BF%8A%E5%BD%A6/dp/4121016181の方が面白そうだなと思ったり。

カルト映画の巨匠デヴィッド・リンチが語る映画術


難解な作品として知られる『マルホランド・ドライブ』ですが、そのDVDには特典映像として監督デヴィッド・リンチのインタビューが収録されています。
以前観たときに大変感銘を受けて思わず書き起こしたものが、最近になって発掘されたのでこちらで紹介します。
インタビュアーとのやりとりはチグハグですが、鬼才デヴィッド・リンチの映画観と情熱がつまった名インタビューです。

マルホランド・ドライブ [DVD]

マルホランド・ドライブ [DVD]

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ツイッター時代の今こそ必要『文書術』

メール、チャット、ツイッター。言葉を綴る機会が多くなる一方失われていくものもある。それは文書を書く力だ。
文書とはつまり、オープンな文章、公に向けられたメッセージのことである。ツイッターやメールばかりやっていては、近い人、親しい人にしか伝わらない文章しか書けなくなってしまう。メッセージを多くの人に伝える力、遠くまで届ける力をつけよう。それが文書術だ。

文書術―読みこなし、書きこなす (中公新書)

文書術―読みこなし、書きこなす (中公新書)

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『ブラック・スワン』


バレリーナは朝目覚める、ぬいぐるみに囲まれた部屋の中で。彼女はまだ子供なのだ。


彼女の名前はニナ。完璧さを求めて厳しい練習を自らに課し、ついにプリマドンナの地位を獲得する。だがプリマドンナとして白鳥の湖を演じるためには清く美しい白鳥だけでなく王子を誘惑する妖艶で官能的な黒鳥の役も演じなくてはならない。そんな彼女に演出家のトーマスは言う。「己を解放しろ」

完璧でいることは彼女にとって足枷でもある。完璧であるためには己を抑えこまなければならないと思っているからだ。そしてそうしている限り、抑えこまれたもう一人の自分、ブラック・スワンになることはできない。

トーマスは彼女では白鳥は演じられても黒鳥は演じられないと考えて、帰って自慰をするように命令する。彼女には自分自身を解放することが必要だからだ。だが彼女は言われた通りベッドで自慰を試みるも、完全に快感に身をまかすということができない。彼女の心には常に、母親の存在がちらつくのだ。


彼女の母親もまたバレリーナだった。だがニナを身篭ったことでその道を進むことを諦めて自らの夢をニナに託すようになった。彼女の脅迫的な観念はそこからきているのだろう。やや過保護なことも相まって、ニナの精神は次第に追いつめられていく。だがそんな母親との関係を変えるのがライバルである新人ダンサー、リリーの存在だった。

優等生的なニナとは正反対に奔放で大胆な性格のリリーがやがてプリマドンナの座を奪ってしまうのではないかとニナは疑心暗鬼になっている。黒鳥そのものであるリリーがやがて白鳥である自分を飲み込んでしまうことを恐れているのだ。しかし自分の分身を否定しているだけでは何も変わらない。
ある夜リリーに誘われて、母親の制止を振り切り夜の街へと繰り出す。そこで酒やドラッグ、クラブでの男遊びを経験し、そして最後にリリーとの合一を果たす。ここで初めて、彼女は押さえ込んでいたもう一人の自分を取り込んだのだ。


白鳥の湖の初演の日がやってきた。トーマスはニナに最後のアドバイスを贈る。「君の道をふさぐ者は君自身だ」「邪魔する者は退けろ」だが彼女はミスをしてしまう。まだ黒鳥になりきれていない。楽屋裏へ戻ると彼女の部屋にはリリーの姿があった。「私が黒鳥を踊ってあげる」不敵な笑みを見せながらそう言うリリーを彼女は鏡へと突き飛ばしこう宣言する「主役は私よ」
ニナともう一人のニナを隔てる鏡は打ち壊された。彼女たちはひとつになったのだ。もう恐れるものは何も無い。黒鳥などどこにもいない。彼女自身が白鳥であり、黒鳥なのだ。そうして最後拍手喝采の中、彼女は栄光の時を迎える。


多くの人は変化することを恐れている。ニナもそうだ。変化すると自分ではなくなってしまうのではないか、今もっているものがなくなってしまうのではないかと恐れている。
だが恐れているものを排除するだけでは恐怖はいつまでも恐怖のままだ。恐怖を乗り越える方法はただひとつ。恐怖に近づき、恐怖に触れ、自分の中に取り込むことだ。恐怖の正体とは分離された自分自身のことだからだ。だから自分ではなくなってしまうのではないかと考える必要はない。自分ではなくなることなど、決してできないのだから。